
大学生が見た素顔のモンゴル
島村 一平
A5
308
ページ
並製
ISBN 9784883256327 Cコード 22
刊行年月日:201711
書店販売日:2017/11/18
本体価格:3200
円
税込価格:3,520
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内容紹介
モンゴルと言えば大草原に暮らす遊牧民や相撲でのモンゴル出身力士を思い浮かべる方が多いのではないだろうか。しかし、実際に現地へ出かけ、生活をしてみると、思いもかけないモンゴルの暮らしぶりや価値感がわかってくる。今や少数となった遊牧民のゲルにホームステイをした体験、馬が年齢や性別によって呼び分けていることに興味を持ち、120頭の馬の毛色を51種類に識別した女子学生の調査、幽霊譚から現代モンゴルの世相を探る論考、モンゴル舞踊を学ぶ学生がモンゴル人の「伝統」概念についての聞き取り、モンゴル相撲の強さの秘密など10本を収録。
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目次
はじめに 島村一平
第1部 素顔の遊牧民
第1章 モンゴル遊牧民の子育て 平野あんず
第2章 タイガと草原に生きる遊牧民
-フブスグル県のダルハド遊牧民との生活体験から 西口佳那
第3章 モンゴル遊牧民の馬の個体認識をめぐって
-毛色を中心に 吉村友里
第2部 街の素顔
第1章 モンゴル人のヘルール(口喧嘩)の技法 安藤晴美
第2章 幽霊譚から読み解く現代モンゴル社会 北田昂大
第3章 モンゴルの学校には「いじめ」がない? 柴田友登
第3部 「伝統文化」の相貌
第1章「伝統」という概念のゆらぎ
-モンゴル舞踊をめぐる「伝統」観の世代間格差 今井冴香
第2章 演じ分けられた民族音楽
―モンゴル国における2種類のカザフ民族音楽の創造 八木風輝
第4部 日本とモンゴルの接点をみつめる
第1章 比較してみた日本とモンゴルの歴史教科書
―元寇・ノモンハン事件・第二次世界大戦 樗木佳奈
第2章 柔道・レスリングは、モンゴル相撲の一部なのか?
-ウランバートルのモンゴル相撲道場の事例から 平山開士
あとがき 島村一平
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第1部 素顔の遊牧民
第1章 モンゴル遊牧民の子育て 平野あんず
第2章 タイガと草原に生きる遊牧民
-フブスグル県のダルハド遊牧民との生活体験から 西口佳那
第3章 モンゴル遊牧民の馬の個体認識をめぐって
-毛色を中心に 吉村友里
第2部 街の素顔
第1章 モンゴル人のヘルール(口喧嘩)の技法 安藤晴美
第2章 幽霊譚から読み解く現代モンゴル社会 北田昂大
第3章 モンゴルの学校には「いじめ」がない? 柴田友登
第3部 「伝統文化」の相貌
第1章「伝統」という概念のゆらぎ
-モンゴル舞踊をめぐる「伝統」観の世代間格差 今井冴香
第2章 演じ分けられた民族音楽
―モンゴル国における2種類のカザフ民族音楽の創造 八木風輝
第4部 日本とモンゴルの接点をみつめる
第1章 比較してみた日本とモンゴルの歴史教科書
―元寇・ノモンハン事件・第二次世界大戦 樗木佳奈
第2章 柔道・レスリングは、モンゴル相撲の一部なのか?
-ウランバートルのモンゴル相撲道場の事例から 平山開士
あとがき 島村一平
前書きなど
はじめに
近年、モンゴル出身の力士の活躍によって、モンゴルの知名度は非常に高くなった。しかし相撲以外にモンゴルと言えば、何を思い浮かべるだろうか?どこまでも続く広い大草原とそこで暮らす遊牧民。あるいはチンギス・ハーンの大モンゴル帝国。「スーホの白い馬」という内モンゴルの民話の普及によって、馬頭琴という民族楽器も知れ渡るようになった。
しかしこうした情報からは、モンゴルで暮らす人々の「素顔」は見えてこない。ここで言う「素顔」とは、日常を生きる彼らの生の姿といってもよい。彼らはどんな暮らしをしており、どんなことに喜び、悲しみながら、日々を生きているのか。とりわけ悩ましいのは、日本で描かれるモンゴルの姿は極端に異なる2つのイメージに引き裂かれている点である。
1つは、白鳳や朝青龍といった大胆不敵なモンゴル人力士のイメージ。モンゴル帝国とチンギス・ハーンも、こうした男性的なイメージで描かれる。もう1つは、自然と共生する素朴で牧歌的な遊牧民イメージである。中には草原の遊牧民の中に「古き良き日本」を見出すメディアやモンゴル・ファンの方も少なくない。
いったいどっちが本当のモンゴルの姿?もちろん「本物のモンゴルの姿」などといった設定自体が間違っているのかもしれない。なぜなら1つの国のイメージなどといったものは、それを見つめる人によって映る姿も異なってくるからだ。しかしながら本書は、あえて「素顔のモンゴル」というタイトルをつけている。
実はこのタイトルは、私たちのオリジナルではない。約50年前、故小沢重男・東京外大名誉教授が『素顔のモンゴル』という書を上梓されている。小沢先生が「素顔」という言葉を使われたのは、当時社会主義国で日本と国交のなかったがゆえにベールを被っていたモンゴルの「素顔」を紹介するという意図からだと思われる。当時、数えるほどしかモンゴルに行ったことのない状況の中、同著のはしがきで小沢先生は、「現代の日本人、それも若い人々(中略)に、その現状を知らせるのが私に課せられた一つの義務であると考えた」とおっしゃっている。もちろんモンゴル研究の大家と同じタイトルをつけるのは、おこがましいとも思った。しかし47年経った今、小沢先生とは別の意味で現代の日本人に伝えるべき「素顔」と呼べるものがあるのではないかと思い、タイトルをお借りした次第である。
本書は、ふつうの大学生がモンゴルに留学し、そこで見た姿を描き出したものである。今あえて「素顔のモンゴル」という言葉を使ったのは、メディアや私を含めた専門家が見落とした何かを彼ら大学生が見つけてきたのではないか、と信じるからだ。(後略)
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近年、モンゴル出身の力士の活躍によって、モンゴルの知名度は非常に高くなった。しかし相撲以外にモンゴルと言えば、何を思い浮かべるだろうか?どこまでも続く広い大草原とそこで暮らす遊牧民。あるいはチンギス・ハーンの大モンゴル帝国。「スーホの白い馬」という内モンゴルの民話の普及によって、馬頭琴という民族楽器も知れ渡るようになった。
しかしこうした情報からは、モンゴルで暮らす人々の「素顔」は見えてこない。ここで言う「素顔」とは、日常を生きる彼らの生の姿といってもよい。彼らはどんな暮らしをしており、どんなことに喜び、悲しみながら、日々を生きているのか。とりわけ悩ましいのは、日本で描かれるモンゴルの姿は極端に異なる2つのイメージに引き裂かれている点である。
1つは、白鳳や朝青龍といった大胆不敵なモンゴル人力士のイメージ。モンゴル帝国とチンギス・ハーンも、こうした男性的なイメージで描かれる。もう1つは、自然と共生する素朴で牧歌的な遊牧民イメージである。中には草原の遊牧民の中に「古き良き日本」を見出すメディアやモンゴル・ファンの方も少なくない。
いったいどっちが本当のモンゴルの姿?もちろん「本物のモンゴルの姿」などといった設定自体が間違っているのかもしれない。なぜなら1つの国のイメージなどといったものは、それを見つめる人によって映る姿も異なってくるからだ。しかしながら本書は、あえて「素顔のモンゴル」というタイトルをつけている。
実はこのタイトルは、私たちのオリジナルではない。約50年前、故小沢重男・東京外大名誉教授が『素顔のモンゴル』という書を上梓されている。小沢先生が「素顔」という言葉を使われたのは、当時社会主義国で日本と国交のなかったがゆえにベールを被っていたモンゴルの「素顔」を紹介するという意図からだと思われる。当時、数えるほどしかモンゴルに行ったことのない状況の中、同著のはしがきで小沢先生は、「現代の日本人、それも若い人々(中略)に、その現状を知らせるのが私に課せられた一つの義務であると考えた」とおっしゃっている。もちろんモンゴル研究の大家と同じタイトルをつけるのは、おこがましいとも思った。しかし47年経った今、小沢先生とは別の意味で現代の日本人に伝えるべき「素顔」と呼べるものがあるのではないかと思い、タイトルをお借りした次第である。
本書は、ふつうの大学生がモンゴルに留学し、そこで見た姿を描き出したものである。今あえて「素顔のモンゴル」という言葉を使ったのは、メディアや私を含めた専門家が見落とした何かを彼ら大学生が見つけてきたのではないか、と信じるからだ。(後略)
著者プロフィール
滋賀県立大学人間文化学部・准教授。文化人類学・モンゴル研究専攻。博士(文学)。1969年愛媛県生まれ。大学を卒業後、ドキュメンタリー番組制作会社に就職するも、取材で訪れたモンゴルに魅了され退社、モンゴルへ留学、気づけば文化人類学の道へ進む。2013年度日本学術振興会賞受賞。2014年度大同生命地域研究奨励賞受賞。主な著書:『増殖するシャーマン:モンゴル・ブリヤートのシャーマニズムとエスニシティ』(春風社、2011年)。編著に『草原と鉱石:モンゴル・チベットにおける資源開発と環境問題』(明石書店、2015年)など。論文多数。
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